七夕

7月1日午前10時08分。
母が父の元へ旅立ちました。
私、妹、弟とその妻4人に看取られ、静かな旅立ちとなりました。
この約1年2ヶ月、辛い治療にもよく耐えた、強い強い母でした。

私は昨年5月に母の大腸癌罹患が明らかになってから、秋口に体調を崩して
帰宅を余儀なくされるまでの約4ヶ月半、母の検診に付き添ったり、点滴の
針を抜いてやったり、家事手伝いをして過ごしました。
体調が整ってからは、息子の結婚式と正月前後を除き、母の検診に合わせて
隔週毎に上京しては身の回りの世話や家事などを4〜5日ずつ行いました。

年が明け、中国武漢発の新型コロナウイルス感染が拡大する中での緊急事態
宣言下では思うように上京も出来ませんでした。 本来の治療対象である癌
の他、認知症状も少しずつ進み、5月の連休辺りから母の容態は低下の一途
を辿りました。

5月下旬からの最後の一般病棟入院中は、家族に病室番号すら知らされず、
当然面会は出来ません。 消耗品の欠品が出た時だけ呼び出され、家族の中
で1人だけがその補充分をナースステーションに届ける事を許されるのみ。
緩和ケア病棟に入った6月始めからは、消耗品の補充分を個室の病室に届け
る際、1〜2人10分程の面会が許される、といった状況でした。

しかし、これは新型コロナウイルス感染拡大下では仕方の無い事で、病院側
がこうして管理を徹底して下さったお陰で、私としては逆に安心して母をお
任せする事が出来ました。

亡くなる10日程前からは、既に緊急事態宣言が解除されていた事もあり、
真夜中以外は人数は限られながらも面会時間が自由になり、それまでと比較
しても長い時間を母と一緒にいる事が出来て、本当にありがたい事でした。

死化粧を済ませた母は、今にも息を吹き返しそうでした。 癌は肝臓にも転
移していたため黄疸が出ていたのですが、パールの入ったファンデーション
をとても上手に使って頂いて、生前よりも本当に綺麗な肌にして頂きました。

通院の際利用したタクシーの運転手さんに、「わあ、お似合いですね。 俺
のお袋にもそんな服を着せてやりたかったなあ」と言われて嬉しそうにして
いた、白地に紺色の花柄を散らしたブラウスを選び、オフホワイトのスラッ
クスは丈もぴったり。 優しい色合いのニットのベストも着てもらいました。

自宅に落ち着き、蝋燭の番をしていた際、「かたんっ」と音がしたので見る
と、溶けた蝋燭の塊が落ちていました。 不思議なことに、その複雑な形を
した小さな塊が、横から見た馬の形に見えました。 25年前に亡くなった
父の元に急ぎたかったのか、或いは父が待ちきれなくて、母を迎えに来たの
か……。

DSC_1354.JPG

遺影は、2年前に傘寿のお祝いの際に子や孫たち家族皆で撮った写真にすん
なり決まりました。 今は<遺影確認システム>なるものがありまして、葬
儀社のサイトで出来上がりの是非の可否を判断する工程があるのですが、襟
ぐりから下着が少し見えていた事に気づかず、承認ボタンを押して送信して
しまったところ、担当者の目に触れず、翌日問い合わせが。

「これは絶対に、お母さんが<これからずっと遺影として人目に触れるのに、
こんな写真じゃ嫌よ。 もっと良く見て。 修正してもらって頂戴。>って
言ってるんだ! 絶対そうだ!」と、妹と意見が一致(苦笑)。

帰宅してから5日間あったので、棺に入れる物もじっくり選んで準備する事
が出来ました。 亡くなる数日前「食べたいもの、何かある?」と聞いた時、
はっきり答えてくれたにもかかわらず誤嚥性肺炎の心配があったので食べさ
せてやれなかった心太や、好きだった枝豆もお手拭きや割り箸と一緒に入れ
てあげました(>心太については経緯を聞いた主人の希望でもありました)。

編み物が得意だったので、編みかけのアンサンブルと毛糸と編棒や編み図、
旅行ガイドや料理の本、自作の木目込み人形の中から男女の可愛らしい子供
の人形一組、5月に出版した私の絵本も手紙と一緒に父との話の種になれば
と収めました。 息子夫婦からは新婚旅行のお土産と手紙も……。

納棺後、自宅から葬儀を行う寺に棺を移す際、葬儀社の担当者が「しばらく
日が空いた中で、これほどお顔の表情が変わらず、お綺麗な方を拝見させて
頂いた事はありません」と、涙ぐまれていたのが印象的でした。

最後まで毅然とし、病でやつれた姿を人様に見せる事をよしとせず、面会を
我々子供とその配偶者のみに限っていた母。 感受性が強い幼い孫を、絶対
に見舞いに連れてくるなと、弟夫婦に指示していた事を、後から知りました。

私の息子の昨年12月に執り行われた結婚式にも欠席でしたが、私と会えば
(式に出席してくれた弟にも)「息子君は、どこでこんな可愛いお嫁さんを
見つけたのかしら🎵」と、喜んでいた母。

晴れ女だった母らしく、亡くなった日の午前中の土砂降りも昼過ぎの病院か
らの帰宅時には止み、この梅雨時に翌日も終日晴天。 あれこれとバタバタ
していて溜まっていた数日分の洗濯物も、綺麗に片付ける事が出来ました。
本当に文字通り、〈天晴れ〉な母でした。

通夜は一番下の内孫の誕生日。 告別式は七夕でした。 25年前に逝った
父と織姫彦星のお話のごとく、あの世で再会出来る事でしょう。

お母さん、私をこの世に生み出してくれて、本当にありがとうございました。