祖父の軍隊手牒〜應召及出征時ノ心得/軍隊手牒ニ係ル心得〜

先日アップした、<祖父の軍隊手牒 〜讀法と誓文〜>の続きです。

読み返す度に、当時(>この手牒の場合は(>大正15年/西暦1926年)
今から94年前)の国民のご苦労が偲ばれます。 国を守るという事がどう
いう事なのかの実感が、現代よりもずっとずっと各々の身近にあった頃。

便利な物に囲まれ、衣食住に何不自由なく過ごして来れた現代人であり、戦
争というものの重さも気配も匂いも切なさも全く経験した事が無い私が思う
ところの<苦労>とは、その度合いも意味合いもおそらく全く異なるもので
しょう。

祖父は明治39年(西暦1906年)の8月生まれなので、20歳になる年
の1月に入隊した事になります。 その歳でこの<應召及出征時ノ心得>を
受け入れた心境を思うと、尊敬の念を抱く以上に、もうただただ敬服するば
かりです。

それでは、その内容を見ていく事に致しましょう。
前回と同様、旧字体は新字体に置き換え、句読点などを加えて書き出してみ
ます。 間違いがございましたら、ご指摘頂ければ幸いです。

<応召及び出征時の心得>(枚数表記無し/計4ページ)

DSC_1415.JPG

一 平素の準備。 家庭は平素よりこれを整理指導し、本人留守中は勿論、
 死没後遺族の紛糾を来すが如き事無きよう一切を処理して家族の安定を図
 り、一旦事あるや、後顧の憂いを断ち一意忠節を尽くし得る如く心掛くべ
 し。 これが為、必要なる事左の如し。

 1 戸籍の整備
  イ 婚姻せば、直ちに関係市区町村長に届出ずる事。
  ロ 内縁の妻または私生児等を有する場合は特に戸籍整理に注意する事
  ハ 遺族の紛糾を予防する為、分家するを適当と認める者ある時は、こ
   の処置を為す事。
  ニ その他、本人または家族の身分に変動有りたる時は、その都度戸籍

DSC_1416.JPG

   を整理する事。

 2 遺言の準備
    家族関係複雑なる場合には、家督相続人、財産処分その他必要なる
   事項につき遺言書を作成し置くを可とする事あり。

二 応召時の処置

 1 軍人ひとたび征途に就くや、もとより生還を期せざるのみならず、戦
  場にありては一人敵中に突進して遺骸を残さず、或いは勇戦奮闘して敵
  弾に粉砕され一片の肉片だにとどめず、又は単機敵中深く進撃して再び
  帰らざる事あり。故に、遺骸の帰らざるは草生す屍、水漬く屍の信条を
  発揮せる真に日本軍人の本分を全うしたるものなる事を、家族に銘肝せ
  しむると共に写真、毛髪、爪等を残し置くを可とす。

 2 留守担当者を定め、金銭、土地、建物及び物品貸借関係、会費、納税、
  預金、保険等の整理又は引き継ぎ。営業、家計及び子女教育の指示。恩
  給賜金の処置等を為し、後事に遺憾無きを期する事。

 3 為し得れば、神社参拝、墓参等を為し、分会関係者、市区町村長、業
  務上の上級者、同僚、近隣及び親戚へ挨拶又は通知する事。

三 防諜(外国の、我が国に対して行う諜報又は有害行為に対し、国家及び
 国防を防護するを言う)は、各人悉く責を有す。然るに、軍の機秘密事項
 は個人の不用意の言動により暴露する場合多きを以って、特に左の諸件に
 注意するを要す。

 1 軍事上の機秘密事項は、業務上関係無き者に対してはたとえ親族、知
  己その他如何なる親密関係にある者といえども、絶対に洩らさざる事。

 2 劇場、酒場、列車中等その他公衆の面前にて召集又は到着部隊号、出
  動先その他機秘密事項を口外し或いは、電話等により伝達するが如き事
  を慎む事

 3 応召に際し、所属部隊号を記せる幟、小旗等を携行せざる事。

 4 部隊の編成、装備、動員、行動その他いやしくも機秘密に渉る事項を
  私信中に記載し又は、封筒に部隊号等を記入せざる事。

 5 私信、慰問品中等に、思想上注意を要する宣伝文等を発見せば、直ち
  に届出ずる事。

 6 機秘密書類の取り扱い、運搬等に当たりては、身を以ってその責に任
  じ、周到なる注意の下に万全を期する事。

 7 紙屑反古の取り扱いに注意し、いやしくも機秘密事項を記載せるもの
  は散逸せしめざる事。

右のうち1乃至(ないし)5の如き事柄は、家庭等にも十分心得しめ置く事。

<軍隊手帳に係る心得>(15枚目〜/計3ページ)

DSC_1417.JPG

一 軍隊手帳は、勅諭讀法誓文各自の履歴等およそ軍人常に服膺すべき事項
 を掲載し、且つ転隊派遣等に際し、金銭物品の受授を証するものなれば、
 最も丁寧に所持し破損紛失せざるよう、細心注意すべき事。

二 一身上の履歴に関する事項並びに、給与通報事項に記注したる金銭物品
 受授その他の事項にして、事実と符合せざるものある時は速やかにその旨
 申告

DSC_1418.JPG

 すべき事。

三 この手帳は自ら保管するの責あり。給与通報事項に記注したる携持の物
 品に於いてもまた然り。故に、不注意若しくは故意により破損紛失等ある
 時は、これを賠償せしむるのみならず懲罰に処すべき事。

四 現役満期転隊転職派遣その他の事故(理由の意)により所属庁を離るる
 時は、当日まで給与を受けたる金銭物品の証明を請うべき事。

五 召集に応ずる時及び簡閲点呼に参会する時は、必ずこの手帳を携帯すべ
 き事。

六 在郷軍人にしてこの手帳を破損紛失等したる時は、その証明書若しくは
 理由書相添え連隊区司令官/(小文字にて)警備隊区に在りては警備隊司
 令官/に届出ずべき事。

七 この手帳は兵役満期若しくは事故により兵役免除の際は、これを当人に
 下付すべき事。



新字体に直して書き出してみましたので、大体の内容に見当がお付きになる
と思います。

家族や金銭についてなど、実に細かな事にまで指示がなされている事に興味
を覚えました。 挙げられていた筆頭が、先ずは戸籍に関する事。 これは
なんとなくですが、理解出来る気がします。

混乱が生じた時に国内を速やかに落ち着かせていくには、その身元の判明や
家族関係者の存在の有無を確認出来る事が大切なのではと。 これは自然災
害の際にも言えますよね。 特に、広範囲に渡って甚大な被害が出た時等も
戸籍を辿る事によって、ご遺骨の引き取り先の見当をつける事も出来ますし。

個人的に心が打たれたのは、<応召及び出征時の心得>の中の<二 応召時
の処置>、その<1 軍人ひとたび征途に就くや、もとより生還を期せざる
のみならず、戦場にありては一人敵中に突進して遺骸を残さず、或いは〜>
の項目です。

祖父個人の記録に目を通せば通すほど、程度の多少はあれどこれを祖父が受
け入れて軍隊に所属していた、その事に頭が下がる思いです。 もっと勉強
して当時の話を聞いておきたかったなぁと、今つくづく思います。

<3 為し得れば、神社参拝、墓参等を為し、分会関係者、市区町村長、業
務上の上級者、同僚、近隣及び親戚へ挨拶又は通知する事。>も、日本人ら
しいというか、生真面目というか。 でも、今生の別となる可能性があるわ
けですから、礼節を尽くすのも当然という事でしょう。

そして、<三 防諜(外国の、我が国に対して行う諜報又は有害行為に対し、
国家及び国防を防護するを言う)は、各人悉く責を有す>の項目も実に興味
深いですね。 今後、戦争を扱うドラマや映画の演出によっては、これまで
よりも気付きや疑問を持てるようになったと思います。 軍人宛の封筒の表
書きには所属部隊名など書けなかった、という事ですよね?

さて、次は勅諭だと思いましたが、4種類20ページ程ありまして、それも
旧仮名遣いだらけ。 参りました。

DSC_1400.JPG

なので、次回は祖父の記録を見ていきたいと思います(>根性なし(笑))。

総理の辞任表明を拝見しながら思ったことあれこれ

8月28日。 安倍内閣総理大臣が、17時頃から記者会見を行いました。

先だっての日を置かずの検診。 ぶら下がり会見での「再検査」という単語
から、「体調がすぐれないのだろうか。 もしかすると、近々会見が開かれ
て出処進退に言及するかも」と思っていましたら、案の定でした。

新薬で病状が改善したからといって、普通なら大事をとって無理をせず、ス
トレスをためない生活を心掛けたい、心掛けようとするものです。
しかし、安倍晋三という人はそれでも一国の行政の長である総理大臣という
職に就き、この8年近くもの間、政(まつりごと)に邁進されたのです。

首相官邸ホームページ 安倍内閣総理大臣記者会見
http://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement/2020/0828kaiken.html

こちらに司会者の言葉や各マスコミ記者からの質問を含めて書き起こしがあ
ります。 私はリアルタイムで会見を見る事は出来ませんでした。 ですか
ら、この書き起こしを元に、ブログを書かせて頂こうと思います。 皆様も
このページをまずご覧になった上で、このブログを読んで頂ければ幸いです。

総理がまず一番に、協力への感謝と亡くなられた方々へのお悔やみの言葉と
共に言及したのは、現在の最大懸念とされるコロナウイルス感染防止対策関
連について
でした。 これから秋に向かう中で、医療施設もその関係者も我
々国民もインフルエンザの流行についても備えなければならず、その為の今
後の具体的な方針に、まず始めに言及しました。

二番目に総理が言及したのは、日本国を取り巻く厳しい安全保障環境への対
応について
でした。 この事については、<一時の空白も許されない>との
言葉も付いていました。 それだけ厳しい状況なのだなと、私は思いました。

景気経済政策についてでもなく、社会税制政策についてでもなく先ずは、今
懸念されるこの二つの事項に対して言及した上で、三番目に、ご自身の事に
ついて話を移されました。

子供が腎臓を患い、後に新しい治療法で寛解した経験を持ちますので、私自
身の経験ではありませんが、新薬で病状が落ち着く安堵や安心は、少しは理
解出来るつもりです。 それが一転、病気が再発した事についての不安も。

秋には米国大統領選も控えていますし、その結果によっては国際情勢が大き
く変化するかもしれない中で、体調を考慮した上での辞任のタイミングは、
総理が述べられているように今しか無かったと思います。

実現出来なかった課題として言及したのは、拉致問題、ロシアとの平和条約、
憲法改正でした。 直接的間接的問わず、これらは安全保障環境への対応に
も関わってくる事ではないかと思います。

そして、これらは総理と国民との約束ではなく、与党自民党と国民との約束
だと総理自身がはっきり言及した事は、与党自民党議員全員とその中から今
後選ばれるであろう総理大臣にとって、一番に肝に銘じなければならない事
柄だと再認識してもらう意味もあったのではないかと感じます。

次の総理が誰になるかは分かりません。 個人的に「この人ならいいなぁ」
と思える議員は何人かいますが今の所、全く名前が挙がっていません(笑)。
挙がっている中では、今まで総理の傍で仕事をしてきた菅官房長官で良いと
思います。 今までの総理の仕事やそのやり方がわかっていますし、官房長
官会見でも、マスコミに余計な隙を見せない所が良い。

来年9月の任期満了までという話であれば、副総理が持ち上がりでも良いか
もしれません。 麻生財務大臣なら外務、総理の経験もありますし。 まぁ、
その場合は、中国や韓国や日本の野党やマスコミや左翼が足並み揃えて大騒
ぎすると思いますが(苦笑)。

いずれにしろ、次に総理職に就く方は個人的な欲を捨てて余程覚悟を持って
臨まないと、次の選挙で今度は自民党が勝てなくなる可能性があると感じま
す。 今の野党ではその可能性は低いでしょうけれど、マスコミを味方に付
けている以上、油断は出来ません。

一方で、マスコミが随分持ち上げていますし、ご本人も大乗り気のようです
が、石破茂議員が総理になる可能性は先ず無いと思います。 党内での信頼
が無いからです。

さて、質疑応答を見ていく事に致しましょう。

幹事社 日本テレビ 菅原記者
    ◎病状についての再確認
    ◎辞任決意の時期はいつだったのか
    ◎辞任についての批判に対する説明は
    ◎後任の選任方法
    ◎意中の後継者は誰か

    読売新聞  今井記者
    ◎政権のレガシーと思われるものとは
    ◎後継首相への期待、託したい事

その他 朝日新聞  星野記者
    ◎次期政権に望む事
    ◎候補者として名が挙がっている方々への評価を

    共同通信  吉浦記者
    ◎解決出来なかった事への反省点
    ◎反省点を踏まえての、次期政権への期待
    ◎プロンプターを使っていないが、どういう心境で会見に臨んだか

    東京新聞  清水記者
    ◎官僚の忖度、公文書の取り扱い、自殺者の再調査等々国民の疑問
     について、説明責任は果たされたか

    日経新聞  重田記者
    ◎後任総裁選選びへの臨み方
    ◎憲法改正は、(候補者への)支援の条件か

    テレビ朝日 吉野記者
    ◎今後の政治との関わり方について
    ◎次回の衆院選への身の振り方

    産経新聞  杉本記者
    ◎安倍総理が考える、総理総裁に必要な資質とは何か

    TBS   後藤記者
    ◎コロナウイルス感染対応について、成果を上げた点と反省点を

    フジテレビ 鹿嶋記者
    ◎もう少し病状をコントロールする事は出来なかったのか

    北海道新聞 佐藤記者
    ◎憲法改正が実現出来なかった事をどう捉えているか
    ◎憲法改正は実現可能か

    時事通信  西垣記者
    ◎政権を投げ出したとの批判を受けた以前と比べて、今回はどうか

    京都新聞  国貞記者
    ◎地方創生に関しての、総理自身の評価と採点を

    中国新聞  下久保記者*
    ◎戦後75年。 平和問題とどのように向き合ってきたか
    ◎次期政権へ託していく使命があれば、その考えを

    毎日新聞  笈田記者
    ◎辞任の決断の次期は
    ◎辞任について誰かに相談したか

フリー 江川紹子
    ◎感染状況把握、給付金申請に関して日本がIT後進国である事が
     露呈した。 その原因と後任への期待等を。

    ロイター通信 タケナカ記者
    ◎後任決定までの<残余の時間>とは、どれくらいを考えているか

    ビデオニュース 神保記者*
    ◎安倍政権のメディア対策について
    ◎会見時の質疑で、質問と答えが目の前のメモにある事に違和感は
    ◎(上記に関し)メディアと政治、民主主義に於いてどう考えるか

    西日本新聞 川口記者
    ◎モリカケ問題、桜を見る会問題、コロナ対策等への批判に共通す
     るのは、政権の私物化ではなかったか それは国民の誤解か
 
    報知新聞  奥津記者
    ◎東京五輪・パラリンピックについての辞任による開催判断、可否
     への影響、開催の場合総理として出席出来ない事への思いを

一通り目を通して見て、なんだかやりきれない思いに駆られました。 総理
の辞任会見で、この程度の質問しか今のマスコミ記者は出来ないものなんで
しょうか。 一番目と二番目に総理が上げたコロナウイルス感染防止対策関
連について
や、安全保障環境への対応について
その2つの事の詳細について質問した記者は、一人もいませんでした。

8年を通しての印象深い出来事も聞いて欲しかったし、日本にとってこれぞ
大切だという政策はどれだと考えるか聞いて欲しかったし、今後の日米同盟
のあり方とか対中韓政策についても聞いて欲しかったのに。

そういう8年間を俯瞰しての質問よりも、辞任を決めたのはいつだとか、誰
かに相談したのかとか、後任は誰がいいとか、モリカケや桜についての説明
責任とか、プロンプターがどうの、質問と回答のメモがどうのと。

……辞 任 会 見 な の に

この中で、極簡単に触れた記者が僅かに2名(*印)いた他は、約8年に渡
って総理職に就いていて今まさに辞任の決心を伝え終えた方に対し、「8年
間、本当にお疲れ様でした」と、質問と区別しながらきちんとした労いの言
葉を口にした記者は、一人もいませんでした。
 一人もです。

言葉を伝える事を大切にする仕事に就きながら、これは人としてどうなんだ
ろうと、個人的に思ってしまいました。 ラグビーワールドカップに於いて、
試合後のノーサイドに感動を覚えた方も多かったと思いますが、マスコミに
とって総理とのノーサイドは、礼節上も全く意識されなかったようです。



安倍総理。 8年間本当にお疲れ様でした。
健康を取り戻し、今後も日本の国益の為、ご尽力頂けますように。
辞任までのあと少しの期間、引き続き日本の舵取りを宜しくお願い致します。
ありがとうございました。

朝顔観察日記(>ならぬ観察写メ)〜その4〜

朝顔観察日記(>ならぬ観察写メ)〜その3〜 からの続きです。

<8月27日>

DSC_1485.JPG

        上から見ると葉に陽が当たるように、お互いの葉が重なら
        ないよう、互い違いに規則正しく出てきているのがわかり
        ます。 植物の知恵ですねぇ。

DSC_1486.JPG

<8月28日>

DSC_1487.JPG

<8月29日>

DSC_1490.JPG

<8月30日> 本葉が8枚の時に5枚残して摘芯してから(8月26日)、
        脇芽がだいぶ伸びました。
        これから、これも葉を3枚残して摘芯していきます。
        良く見ますと、脇芽の元に小さな花芽が出来ていました。

DSC_1491.JPG

DSC_1493.JPG

<8月31日> 30日夕刻に摘芯して、少し落ち着いた感じ。
        まだまだ小さいですが、蕾も大きくなってきています。

DSC_1495.JPG

朝顔観察日記(>ならぬ観察写メ)〜その3〜

朝顔観察日記(>ならぬ観察写メ)〜その2〜 からの続きです。
ベランダで葉を広げ、すくすくと育っております。

<8月21日>

DSC_1476.JPG

<8月22日>

DSC_1477.JPG

<8月23日>

DSC_1478.JPG

<8月24日>

DSC_1479.JPG

<8月25日> 本葉が増えてきたので、支柱を立てました。

DSC_1480.JPG

        <朝顔の鉢>という雰囲気に。

DSC_1483.JPG

<8月26日> 本葉が8枚になったので、5枚残して摘芯。

DSC_1484.JPG

祖父の軍隊手牒 〜讀法と誓文〜

先日アップした、<祖父の軍隊手牒>の続きです。

終戦の日を迎える8月の半ばともなると、NHKを始めテレビや新聞は過去
日本軍が海外諸国に対してどれだけ迷惑を掛けてきたかとか、私達は反省し
なければいけないとか、日本軍による<侵略戦争>がどうのこうの、戦争は
ダメとにかく戦争はダメと、それ一色になりますね。

勿論、戦争はどこの国の方々であっても、出来れば未来永劫やりたくない事
の筆頭に挙げられるものでしょうし、過去に於いて日本軍がその地域(>当
時、国として成立していなかった場所もありますので、ここでは国とは書か
ずに敢えて地域と表現します)に進軍・展開した事によって、当時その地で
被害や迷惑を被った方々も少なからず居られた事でしょう。

その部分については、謙虚に反省しなくてはなりません。

さて、物事には原因と結果が存在します。 事が起こる時には、そこにはそ
れ相応の原因があると思います。 ましてや、国家の存亡が掛かった戦争と
いう一大事に於いて、その原因は一つではないのでは、とも思います。 複
数の原因が複雑に絡み合った結果、戦争に至ったのではと思うのですが、ど
うもこの時期に報道される番組や掲載される新聞記事を見聞きする限り、<
日本による侵略戦争>が殊更強調されているように思うのです。

侵略、それだけが戦争の理由なの? そもそも、それって事実なの?

あまり好きな諺ではありませんが、<勝てば官軍負ければ賊軍>という諺が
あります。 道理に背いていても、戦いに勝った方が正義となり、負けた方
は不正となる。 物事は勝敗によって正邪善悪が決まる、という意味です。

で、私はいつも疑問を感じるのです。
「なぜいつも、日本や日本軍だけが悪いように言われるの?」と。
「戦後75年も経った今でも日本が悪く言われ続けるのは、なぜ?」と。
そして、「日本が悪く言われるのは、いい加減うんざりだ」とも思います。

日本に被害を受けたとされる国によっても、日本に対する印象は違います。

例えば、親日国が多いとされる東南アジア諸国では、当時黄色人種である日
本が白人欧米と戦っているのを見て奮起。 戦後欧米は、東南アジア圏の各
植民地から手を引かざるをえなくなり、結果自分たちが独立を果たせた(>
植民地から解放された)。 それは、日本がお手本になってくれたからだと
する考え方もあるのです。

片や、当時は国すら無かった中華人民共和国(建国1949年10月1日)
や、併合されていて日本だった大韓民国は、歴史を歪めてまで日本をなぜか
悪者にしたがりますし、国内法まで整備して反日だったりします。 この場
合、勝てば官軍負ければ賊軍が大韓民国との間で当てはまったりするんでし
ょうか。 日本は、大韓民国とは戦争など一度もしておりませんけれど。 

他にも、疑問に思う事があります。

当時、一般市街地を空襲によって爆撃したり、原子爆弾を2発も落として大
勢の日本の民間人を死に至らしめた米国についてはさっぱり批判しないのに、
日本だけを悪く言うワイドショーのコメンテーターや、戦争はダメだダメだ
というばかりの関係者だけが毎年この時期になるとテレビや新聞で取り上げ
られる事も、奇妙で仕方がありません。

日本軍に対する偏った擁護は要りません。 でも、お一人くらい、別の角度
から客観的に語れる人がいてもおかしくないだろうに、とも思います。 故
小野田寛郎氏のように。 当時を知る方には、これが人生最後の国家の将来
のためのご奉公という事で、どんどん語って頂きたいものです。

しかし、同じ兵士でも様々なお立場もあるでしょう。 捕虜のご経験がある
となれば、もしかすると相手国によって抑留中に洗脳されてしまわれたかも
しれませんし、下士官の更に下の階級であれば、当時知らされていなかった
事もあるでしょうし。 感情的にならずに客観的に語って欲しいという方が、
無理かもしれません。

マスコミの取り上げ方にも問題があるでしょう。 放送法第4条に抵触して
いると思います。 こちらのサイトで、<放送法第4条>を検索してみて下
さい。→ https://dsk.or.jp/dskwiki/index.php?

先の大戦から75年という長い年月を隔た事もですし、敗戦国として占領軍
から受けた影響があまりにも大きかった事もあるでしょうし、日本国内に於
いて日本国民の間に於いて、戦争や軍や軍人というものが果たして本来どの
ようなものなのかを、そもそも全く教えられてこなかった事にも原因がある
のではないかと思ったり。

歴史の授業で思い当たる方も居られると思うのですが、社会の歴史だけは、
なぜか中途半端な所(>近代史の辺り)で3学期が終わってしまい、後は自
習となる事が殆どでした。 教えづらいという事だったんでしょうか。 文
科省や日教組の方針だったから? でも、そうなると、学ぶ側の権利は?

等々、つらつら書いていると本題に至らないうちに終わってしまいそうなの
で(苦笑)、ここらで軌道修正する事に致しましょう。

祖父の軍隊手牒の中に、讀法(とくほう)という項目が末尾の誓文(せいも
ん)と共に5頁に渡って掲載されています。

DSC_1412.JPG

DSC_1413.JPG

DSC_1414.JPG

讀法の内容はというと、要は<軍人とはなんぞや><軍人たるをどう心得る
か>という事が7ヶ条計2頁、更に、念押しのような内容が計2頁に渡って
書き連ねられていて、おしまいの5頁目でそれらを読んだであろう日、即ち
入隊日が祖父手書きの筆文字で書かれていました。

祖父は大正15年1月10日に入隊し、その後、騎兵第十五聯隊(連隊)機
関銃隊に配属されました。

文意から受けるに、ここで書かれている兵隊とは、軍隊と同じく組織を指す
語と思われます。 旧字体は新字体に置き換え、句読点などを加えて書き出
してみます。 間違いがございましたら、ご指摘頂ければ幸いです。



讀法

兵隊は、皇威を発揚し国家を保護する為めに設け置かれるものなれば、此兵
員に加る者は堅く左の条件を守り、違背すべからず。

軍隊は、天皇陛下のご威光を高め、国家を護るために設けられるものだから、
この軍隊に加わる者は堅く左の条件を守り、違反する事の無いようにせよ。


第1条
誠心を本とし忠節を尽くし、不信不忠の所為あるべからざる事。

真心を要として忠義を尽くし、偽ったり忠義を欠いたりするな。

第2条
長上に敬礼を尽くし等輩に信義を致し、粗暴倨傲の所為あるべからざる事。

上官に対しては敬意をもって接し同僚を欺かず、乱暴を働いたり傲慢な態度をとるな。

第3条
長上の命令は其事の如何を問わず直ちに之に服従し、抗抵干犯の所為あるべ
からざる事。

上官の命令にはその是非に拘わらず直ちに従い、逆らったり余計な干渉をするな。

第4条
胆勇を尚び軍務に勉励し、恐怯柔懦の所為あるべからざる事。

勇しさを尊び軍の務めに励み、恐れ怯えたり弱々しい様を見せるな。

第5条
血気の小勇に誇り争闘を好み他人を侮慢し、世人の厭忌を来す等の所為ある
べからざる事。

些細な事に腹を立てる、争い事を好む、他人を馬鹿にするといった、周囲の人々を不快にさせるような事をするな。

第6条
道徳を修め質素を主とし、浮華文弱に流るる等の所為あるべからざる事。

社会規範を学んで質素を基本とし、物事のうわべにとらわれたり理屈を並べ立てたりするな。

第7条
名誉を尚び廉恥を重んじ、賤劣貪汚の所為あるべからざる事。

名誉を尊び節義を重んじ、卑しく欲深く品を欠いたりする事の無いように。

以上掲げる所の外法律規則に違反し罪を国家に得るに至りては、父祖の辱め
家声を汚し醜を後世に遺す。 独り其身現在の恥辱のみならざるなり。 況
んや重罪の如きは各人天賦の公権をも剥奪せられ、世に立ち人に交(接)る
も総て対等の権利を得ざるに至るに於てをや。 名誉を尚び廉恥を重んずる
の軍人に在りては、殊に戒慎を加えざるべからず。 就中(なかんずく=と
りわけ/特に)陸軍刑法は軍隊の害を為す者を懲らす為めに特に設けらるる
ものたるを以って其刑亦頗る厳なり。 軍人にして之を犯せば啻(ただ)に
本分を誤り軍隊の安寧を害するのみならず、遂に世人の信用を損し陸軍の栄
誉を汚す等其責更に重し。 平素自ら戒飭し決して違犯すべからざるもの也。

以上の他、国家の法律規律に違反すれば、先祖家名をも汚し、その恥は後世
に残る事となる。 その恥は己独りのみに留まらないという事だ。 重罪で
あれば尚更、各々が生まれながらにして与えられた権利も剥奪され、世間一
般の人々と同じ権利をも得る事はかなわない。 名誉を尊び節義を重んじる
軍人となれば尚更自らを戒め慎む事が肝要である。 とりわけ、陸軍刑法は
軍隊に害を為す者を懲らしめるため設けられるものであり、特に厳しい刑法
である。 軍人にして罪を犯せば、軍隊の安寧を害するに留まらず、国内の
人々の信用を無くし、ひいては陸軍の名誉をも汚す重大事となる。 平素か
ら自らを戒め、慎み、決して法を犯す事の無いよう心せよ。




誓文

今般御読み聞かせ相成り候。 讀法の條々堅く相守り誓って違背仕間敷候事。

大正十五年 一月 十日

この度、読み聞かせを受けました。 讀法の各条を堅く守り、法に違反せぬ
よう努める事を、ここに御誓い致します。

大正十五年 一月 十日
 (年月日のみ祖父の自筆)



ここまで読まれてみて、どうですか? 規律を重んじ、国防を考えて設けら
れたものが軍隊であって、私には他国を侵略したと後世で言われるような軍
隊だとは思えないんですが。 先の大戦以降、海外では止まる事なくドンパ
チドンパチやっていますが、あちらの方が日本軍より余程過激だと思います。

そうそう、この後の頁の<応召及出征時の心得>なんて、細かくてもっと厳
しいんですよ。 のほほ〜んと生きてきた私のような身にとっては、戦慄せ
ざるをえないような事柄がしれっと書いてあったりします(苦笑)。 それ
が、当時の日本の日常だったという事を忘れてはいけないなぁと、しみじみ
思います。 そういう時代を祖父が生き抜いてくれたから、今の自分の存在
があるんですね。

それではまた😃🎵

朝顔観察日記(>ならぬ観察写メ)〜その2〜

朝顔観察日記(>ならぬ観察写メ)〜その1〜 から続きます。

<8月11日>

DSC_1460.JPG

<8月12日>

DSC_1461.JPG

<8月13日>

DSC_1463.JPG

<8月14日>

DSC_1464.JPG

<8月15日>

DSC_1466.JPG

<8月16日>

DSC_1469.JPG

<8月17日>

DSC_1470.JPG

<8月18日>

DSC_1471.JPG

<8月19日>

DSC_1472.JPG

<8月20日>

DSC_1475.JPG

朝顔観察日記(>ならぬ観察写メ)〜その3〜 掲載は8月30日の予定で
す。 さてさて、10日後、どうなっているでしょうね。
久しぶりの、夏休みの宿題気分(笑)。

朝顔観察日記(>ならぬ観察写メ)〜その1〜

もうとっくに花が咲いている時期だったので、(どうしようかなぁ)と思った
のですが……。

まぁ、撒いても花が咲くのはまだ暑い時期だろうからと(>結構適当だったり
する(苦笑))、母の納骨式に出掛ける前日(7月30日)に、朝顔の種を3
粒撒いてたっぷり水をやって、納骨式を終えてその日(8月1日)の夜に帰宅
しましたら、1つだけ芽が出掛かっていました……健気なり。

マンションのベランダなので縦に長〜く長〜く育てる訳にはいかず、支柱を使
って行灯仕立てにする予定です。

<8月1日>

DSC_1443.JPG

<8月2日>

DSC_1445.JPG

<8月3日>

DSC_1447.JPG

<8月4日>

DSC_1448.JPG

<8月5日>

DSC_1450.JPG

<8月6日>

DSC_1451.JPG

<8月7日>

DSC_1452.JPG

<8月8日>

DSC_1453.JPG

<8月9日>

撮り忘れ

<8月10日>

DSC_1455.JPG

手作り手作り♫

またまた<何かを作りたい>衝動に駆られました。
私は年に数回、こういった衝動に駆られます😃💦

昔母が使っていた買い物かご仕様のトートが欲しかった事を思い出し、籐で
編むのはちょっとハードルが高そうだったので、専用のネットにエコアンダ
リヤという糸を編みつけるやり方で作る事にしました。

子供の頃、確か夏休みの自由研究の一環で、7センチ四方のネットにやはり
アンダリヤという糸で花模様を刺し、そのモチーフをつなぎ合わせて小さな
手提げバッグを作った覚えがあったので、少々懐かしかったです。 確か小
6の時だったか(>ひいぃぃぃ……もう、45年も前の話ですじゃ〜💧)。

指南書では、お出かけ用のトートバッグとして黒いネット地に籐のような生
成りの糸を合わせていたのですが、普段使いの買い物かごにするとなると汚
れが目立つかもと思いネット地の色はベージュ、糸は<かすり染め>(色番
212)を選びました。

本来3玉で事足りたのですが、足りなくなると困ると思って1玉余分に買っ
ておいたのがやっぱり丸々余ったので、何か他に出来るものは無いかなと、
ネットで無料の編み図を見つけて、これも以前から欲しかったがま口を作る
事にしました。

時間を見つけてはせっせと手を動かし、こんな感じで完成しました。
う〜ん、昭和の香り(笑)。

DSC_1474.JPG

トートの口が「くわ!」と開いてしまうのが気になったので、指南書には無
かったのですが、細長いバンドを編んで竹を模した止めボタンを付けました。
がま口にはスリ防止用の、かなり賑やかに鳴り響く諏訪大社の開運招福の鈴
を付けました。

作りかけのバッグを目にして「これ何? 魚籠?」と言ったのは夫です💥👊
完成したバッグとがま口を見て「器用だね」と言ってくれたので、許します
(笑)💕

こういう単調な作業はリラックス出来て、頭が休まります。 出来栄えは兎
も角、一点物が手に入って結構満足出来ます。 頭が休まったせいか、新し
い絵本のテキストもだいぶスッキリさせる事が出来て、こちらも満足です。

祖父の軍隊手牒

母が亡くなった当日から、納棺を経て通夜当日に寺に移動させるまで、6日
間という時間がありました。
その間に、仏壇やその周囲を見ておりましたら、祖父の遺品である<軍隊手
牒>が、帝國在郷軍人會の徽章(3種)と共に見つかりました。
全頁を写真に撮って、現物は丁寧に箱に収めて実家に置いてきました。

手牒はベージュの布製カバーに綴じ込まれていて、携帯を義務付けられて丁
寧に扱う物だったせいか、約30枚(60ページ程)の中身の紙部分も、
75年以上前の物とは思えないくらいしっかりしています。 表紙の一部に
赤茶色の染みが付いていたりして、その意味を想像すると感慨深いものがあ
ります。

DSC_1392.JPG

祖父には出征の経験があった事と、<大陸で馬に乗っていた><マラリヤに
罹って現地の野戦病院に入院し、その後帰国した>話は、以前母に聞いては
いましたが、兵役に就いていた当時の事は何も聞かないまま、祖父は私が高
校生の時に亡くなってしまったので、今回実に興味深く、その手牒をめくる
事となりました。

今の所、ザッと目を通しただけなのですが、この手牒が当時どのように扱わ
れていたのかが、4種の勅諭(ちょくゆ)、讀法(とくほう)、誓文(せい
もん)、應召及出征時ノ心得、軍隊手牒ニ係ル心得と読み進めていくうちに
ジワジワと実感として伝わってきて、いつの間にか背筋が伸びておりました。

祖父は、母が言っていた通信を担当する部署にいた兵ではなく(>兵装でヘ
ッドホンのようなものを装着していた写真があったので、誤解していたのか
もしれません)、騎兵だった事を知りました。

第一師団 騎兵 第十五連隊所属。 最終階級は、曹長でした。

機関銃の扱いに優れ、3度の褒賞の記録があり、他に<機関銃夜間射撃用豆
電燈設備考案ノタメ>褒賞一度。 更に、その内容はわかりませんが<善行
證書>を一度、受けていました。 罰科の記載は無し。

驚いたのは、<出戰務>の記録でした。 小さな小さな米粒のような、祖父
自身の几帳面なペン文字で、<昭和十二年十二月二十四日上海上陸>の記述。
そして次が<自昭和十二年十二月二十五日至昭和十三年一月十七日上海付近
ノ警備>とありました。

(えっ! ちょ、ちょっと待って〜!)と驚きつつ、出戰務を読み進めてい
くと、第二中隊への編入後、数度の上海付近警備を経て、<六月三十日ヨリ
九月十四日揚子江遡江作戰参加>とありまして……。

なんと、祖父はどうやらあの南京陥落の頃に中国大陸に居て、日本軍の騎兵
として、マラリアに感染して入退院を経ながらも、昭和14年の11月頃ま
でに合計10度程、付近各地の攻略戰や掃討戦に参加していたようなのです。
出戰務には他に徳安、修水(?)、南昌、永修、瑞撫他各地名の記載があり
ます。 読めない文字もあるので、そこは追々。

もう、びっくりです。
今の今まで、自分とは縁が無い遠い遠い昔の話でしかなかった南京陥落当時、
いや<戦時中>自体に後ろ襟を掴まれて、目の前にババーンッと突き出され
た事実に向き合わされた感じ。

ちなみに、昭和12年に限らず12月24日といえばクリスマスイブですね。
当時の東京朝日新聞によると、その日の日付で<平和立帰る南京。皇軍兵士
避難民に菓子を分配>というタイトルの記事が報じられています。

同じ日付でノース・チャイナ・デイリーニュースも<南京で贈り物を配る日
本軍>のタイトルで、群衆に混じって物を配る日本軍兵士の写真付きで報じ
ています。 現地の子供達の表情が嬉しそうで、こちらも和める写真です。

中国が主張する南京大虐殺云々の話とは、だいぶ様相が異なるようですね。
詳しくは、『南京事件「証拠写真」を検証する』(東中野修道・小林進・福
永慎次郎共著/草思社/16〜17頁)をご覧下さい。
一説によると、日本軍が南京入りした後、避難していた現地の方々が戻って
きて、20万だった人口が25万ほどになったという話もあります。

祖父本人からは全く話が聞けないままでしたが、こうして極一部だけでも知
る事が出来て、また手牒や徽章を保管する事も出来て、本当に良かったと思
いました。

母の事が無かったら、おそらくまだ手牒の事も知らないままだったと思うの
で、母にも感謝です。